2015年11月24日
心岳寺参りの帰路
11月24日
種子島からロケットが打ち上げられました。
今のところ、順調に飛行しているみたいですね。初めての海外の商業衛生を軌道に乗せる重大な任務を背負っているのですから、誰もが、空を眺めていたのではないでしょうか。
我が輩もその一人でしたが、午後3時23分になっても、南の空に、ロケットの航跡は見えません。しばらく南の空を眺めていましたが、諦めて家に入った途端、打ち上げられたようです。残念・・・・・。

昨日、心岳寺参りの様子を報告しましたが、実は、その後、薩摩の歴史街道「白銀坂」を重富側から吉野方面へ歩いて帰りました。
これまで何回と無く歩こうと思っていたコースだったのですが・・・。
その機会がやっと訪れました・・・。
高低差300m、距離は3kmと比較的歩き易いコースみたいですね。
それはそうでしょうね・・・。明治時代の初めまで、庶民の方も行き来しあう生活道路だったでしょうからね。
でも、登りはじめは結構急な坂となっていましたよ。
右側の沢から、水が流れ落ちる音が聞こえてきます。
また、小鳥達もいろいろな声でさえずっています。
自然を身近に感じながら、美味しい空気を身体の中に取り込んで、ゆっくりと登っていきました。

コースの殆どが石畳となっていました。
このような急峻な山は、雨が降ると、道路が水路となってしまい、路面を侵食してしまいます。
これを防ぐために石を敷き詰めたのでしょうね。
街道沿いの山肌を良く眺めてみると、どこそこに石が顔を出していました。多分、この石を使って石畳を作って行ったのでしょうね。

白銀坂の中腹の休憩所です。
姶良の町並みが一望できます。
中央の国道10号線が、真っ直ぐ伸びています。
昔の人が眺めた風景は、どのようなものだったんでしょうか・・・・。
ここで一息つき、更に登って行きます。

頂上近くにある看板です。
歴史の道「大口筋 白銀坂」と書いてあります。「筋」は、鹿児島藩の街道の呼び名のことらしいです。
鹿児島から重富、加治木、横川、大口を通って熊本県の水俣までのおおよそ70kmを大口筋というと、看板に記されていましたよ。
白銀坂の入り口からここまで、おおよそ70分を要しました。
ここからは、我が家まで、ずっと下り坂です。
”人生 下り坂最高!!”と、誰かが言ってましたけど、本当にそうだと痛感したしだいです。
今回は、朝9時30分に出発して、午後3時30分に我が家に到着しました。
全行程30km近く、実際の歩行時間5時間30分と、とても充実した、そして少し疲れた チョイ旅でした。
これに懲りず、まだ知らない歴史道や史跡を歩いてみたいなあ・・・と思うことでした。
種子島からロケットが打ち上げられました。
今のところ、順調に飛行しているみたいですね。初めての海外の商業衛生を軌道に乗せる重大な任務を背負っているのですから、誰もが、空を眺めていたのではないでしょうか。
我が輩もその一人でしたが、午後3時23分になっても、南の空に、ロケットの航跡は見えません。しばらく南の空を眺めていましたが、諦めて家に入った途端、打ち上げられたようです。残念・・・・・。

昨日、心岳寺参りの様子を報告しましたが、実は、その後、薩摩の歴史街道「白銀坂」を重富側から吉野方面へ歩いて帰りました。
これまで何回と無く歩こうと思っていたコースだったのですが・・・。
その機会がやっと訪れました・・・。
高低差300m、距離は3kmと比較的歩き易いコースみたいですね。
それはそうでしょうね・・・。明治時代の初めまで、庶民の方も行き来しあう生活道路だったでしょうからね。
でも、登りはじめは結構急な坂となっていましたよ。
右側の沢から、水が流れ落ちる音が聞こえてきます。
また、小鳥達もいろいろな声でさえずっています。
自然を身近に感じながら、美味しい空気を身体の中に取り込んで、ゆっくりと登っていきました。

コースの殆どが石畳となっていました。
このような急峻な山は、雨が降ると、道路が水路となってしまい、路面を侵食してしまいます。
これを防ぐために石を敷き詰めたのでしょうね。
街道沿いの山肌を良く眺めてみると、どこそこに石が顔を出していました。多分、この石を使って石畳を作って行ったのでしょうね。

白銀坂の中腹の休憩所です。
姶良の町並みが一望できます。
中央の国道10号線が、真っ直ぐ伸びています。
昔の人が眺めた風景は、どのようなものだったんでしょうか・・・・。
ここで一息つき、更に登って行きます。

頂上近くにある看板です。
歴史の道「大口筋 白銀坂」と書いてあります。「筋」は、鹿児島藩の街道の呼び名のことらしいです。
鹿児島から重富、加治木、横川、大口を通って熊本県の水俣までのおおよそ70kmを大口筋というと、看板に記されていましたよ。
白銀坂の入り口からここまで、おおよそ70分を要しました。
ここからは、我が家まで、ずっと下り坂です。
”人生 下り坂最高!!”と、誰かが言ってましたけど、本当にそうだと痛感したしだいです。
今回は、朝9時30分に出発して、午後3時30分に我が家に到着しました。
全行程30km近く、実際の歩行時間5時間30分と、とても充実した、そして少し疲れた チョイ旅でした。
これに懲りず、まだ知らない歴史道や史跡を歩いてみたいなあ・・・と思うことでした。
2015年11月23日
心岳寺参り
11月23日
勤労感謝の日です。
国民全ての人に対し、感謝の念を持ちましょう。
ということで、我が輩にも日々の労働に対する慰労を込めて、今日一日自由時間を与えることにしました。

本日は、登山を兼ねて、心岳寺参りに参加しました。
心岳寺参りとは、戦前まで続いた鹿児島の三大詣での一つらしいです。
島津氏が、戦国時代に九州全域を治めようとしたしていた時、時の関白豊臣秀吉の九州征伐で敗れ、最後まで抵抗した島津歳久は、自害に追い込まれました。そして、歳久の家臣27名も殉死しました。その霊を慰めるために建てられたのが、心岳寺です。
歳久の命日の7月18日には、心岳寺参りが行なわれるようになったそうです。

今回は、我が家から歩いて、吉野地区からの心岳寺参りに挑戦しました。
寺山近くの標高400m近い場所から一気に海抜10m位まで下っていくコースです。
所々に、石畳が残っているところもありましたが、昔の通り道の面影は全くありません。当地区の史談会の方に伺ったら、当時の道は三分の一位しか分かっていないそうです。

我が家を出て2時間強で、旧心岳寺にたどり着きました。
昔の人は、よくもこんな急峻な坂を行き来したもんだと関心仕切りです。
写真は、島津歳久公の時世の歌の碑です。近くには、歳久公と家臣のお墓もありました。
でも、当時相当の辺ぴな場所にあったにもかかわらず、多くの人が心岳寺参りに訪れていたというのは、歳久公に何か惹かれるものがあったのでしょうね・・・・。
勤労感謝の日です。
国民全ての人に対し、感謝の念を持ちましょう。
ということで、我が輩にも日々の労働に対する慰労を込めて、今日一日自由時間を与えることにしました。

本日は、登山を兼ねて、心岳寺参りに参加しました。
心岳寺参りとは、戦前まで続いた鹿児島の三大詣での一つらしいです。
島津氏が、戦国時代に九州全域を治めようとしたしていた時、時の関白豊臣秀吉の九州征伐で敗れ、最後まで抵抗した島津歳久は、自害に追い込まれました。そして、歳久の家臣27名も殉死しました。その霊を慰めるために建てられたのが、心岳寺です。
歳久の命日の7月18日には、心岳寺参りが行なわれるようになったそうです。

今回は、我が家から歩いて、吉野地区からの心岳寺参りに挑戦しました。
寺山近くの標高400m近い場所から一気に海抜10m位まで下っていくコースです。
所々に、石畳が残っているところもありましたが、昔の通り道の面影は全くありません。当地区の史談会の方に伺ったら、当時の道は三分の一位しか分かっていないそうです。

我が家を出て2時間強で、旧心岳寺にたどり着きました。
昔の人は、よくもこんな急峻な坂を行き来したもんだと関心仕切りです。
写真は、島津歳久公の時世の歌の碑です。近くには、歳久公と家臣のお墓もありました。
でも、当時相当の辺ぴな場所にあったにもかかわらず、多くの人が心岳寺参りに訪れていたというのは、歳久公に何か惹かれるものがあったのでしょうね・・・・。
2015年11月20日
大豆の刈り取り
11月19日
前日は、久し振りに大雨になりました。
我が家の近くの道路の側溝の蓋が、吹き出した水で浮き上がってしまいました。
こういうこと初めての出来事です・・・。多分、時間当たり50mm以上の降水量だったのではないでしょうか。

でも、11月も中旬、どこそこで紅葉の見ごろを、テレビで流しています。
浮世に流されている我が輩も、世間様同様、紅葉狩りに出掛けてみました。
写真は、佐賀県武雄市の御船山の紅葉です。
ライトアップされた紅葉が、池に映し出されて、とても綺麗です。しばし言葉を発するのを忘れて見入れてしまいました。

我が家の畑には、5月に植えた大豆が収穫されずにまだ残っています。
かなり乾燥してきています。先日から葉っぱがおちた大豆は、根を掘り出していっています。
今日は、最後の大豆を全部刈り取りすることにしました。

掘り出した大豆は、写真のように、根を上にして干していきました。
根や茎の栄養分が、大豆の実に落ちてきて、美味しい大豆になりますように・・・・・・。
この状態で、畑に1週間程度乾燥させ、その後、大豆の鞘から実を取り出したいと考えているところです。
大雨の前に、刈取りした大豆は、すっかり乾燥していますが、今しばらく乾燥させ、今回刈取りした分と併せて、
実を取り出したいと考えているところです・・・・・。
前日は、久し振りに大雨になりました。
我が家の近くの道路の側溝の蓋が、吹き出した水で浮き上がってしまいました。
こういうこと初めての出来事です・・・。多分、時間当たり50mm以上の降水量だったのではないでしょうか。

でも、11月も中旬、どこそこで紅葉の見ごろを、テレビで流しています。
浮世に流されている我が輩も、世間様同様、紅葉狩りに出掛けてみました。
写真は、佐賀県武雄市の御船山の紅葉です。
ライトアップされた紅葉が、池に映し出されて、とても綺麗です。しばし言葉を発するのを忘れて見入れてしまいました。

我が家の畑には、5月に植えた大豆が収穫されずにまだ残っています。
かなり乾燥してきています。先日から葉っぱがおちた大豆は、根を掘り出していっています。
今日は、最後の大豆を全部刈り取りすることにしました。

掘り出した大豆は、写真のように、根を上にして干していきました。
根や茎の栄養分が、大豆の実に落ちてきて、美味しい大豆になりますように・・・・・・。
この状態で、畑に1週間程度乾燥させ、その後、大豆の鞘から実を取り出したいと考えているところです。
大雨の前に、刈取りした大豆は、すっかり乾燥していますが、今しばらく乾燥させ、今回刈取りした分と併せて、
実を取り出したいと考えているところです・・・・・。
2015年11月12日
シイタケ原木の準備
11月11日
世界平和記念日です。
中近東や南沙諸島など、世界ではいろんなところで紛争や対立が起こっています。
今のところ、我が家は家庭内紛争は起こっていません。じっと耐えることが、対立を起こさない方法ではないでしょうか・・・。

我が家のクヌギ山の風景です。
クヌギの木の葉が、大分色づいてきました。当地区のシイタケ栽培組合の研修を受講した時、当地区の原木の切る時期は、11月上旬と話されていました。クヌギの葉っぱが半分程度色づき始める頃が、クヌギの木を切る最適な時期らしいです。
クヌギの木は切り倒した後、2~3か月乾燥します。乾燥させるためには、葉っぱが残っている方が乾燥しやすいそうです。
ということで、本日シイタケ栽培用のクヌギの木を切ることにしました。

我が家のクヌギの山は、川に沿っているため、木をきる時は、川の方へ倒れないよう配慮せねばなりません。
昨年は、3本のうち2本が川の方へ倒れてしまいました。
今年はリベンジです。
以前、森林組合のチェーンソーの講習を受けたとき教えて頂いた事を思い出しながら、挑戦です・・・。
まず、切り倒す方向を決めて、その側の根元に上下から斜めに切り込んでいきます。

そして、反対側から、チェーンソーで切り込んでいきます。
見事に予定した方向へ倒れました。ちょっと自慢ですね~~。
同じように、あと2本切り倒しました。川沿いの木は、あらかじめロープで山川に引っ張り、川へ落ちないよう工夫しました。
この状態で、来年春先まで乾燥させ、3月上旬、1m程度に切り分け、シイタケの菌を打つことになります。
世界平和記念日です。
中近東や南沙諸島など、世界ではいろんなところで紛争や対立が起こっています。
今のところ、我が家は家庭内紛争は起こっていません。じっと耐えることが、対立を起こさない方法ではないでしょうか・・・。

我が家のクヌギ山の風景です。
クヌギの木の葉が、大分色づいてきました。当地区のシイタケ栽培組合の研修を受講した時、当地区の原木の切る時期は、11月上旬と話されていました。クヌギの葉っぱが半分程度色づき始める頃が、クヌギの木を切る最適な時期らしいです。
クヌギの木は切り倒した後、2~3か月乾燥します。乾燥させるためには、葉っぱが残っている方が乾燥しやすいそうです。
ということで、本日シイタケ栽培用のクヌギの木を切ることにしました。

我が家のクヌギの山は、川に沿っているため、木をきる時は、川の方へ倒れないよう配慮せねばなりません。
昨年は、3本のうち2本が川の方へ倒れてしまいました。
今年はリベンジです。
以前、森林組合のチェーンソーの講習を受けたとき教えて頂いた事を思い出しながら、挑戦です・・・。
まず、切り倒す方向を決めて、その側の根元に上下から斜めに切り込んでいきます。

そして、反対側から、チェーンソーで切り込んでいきます。
見事に予定した方向へ倒れました。ちょっと自慢ですね~~。
同じように、あと2本切り倒しました。川沿いの木は、あらかじめロープで山川に引っ張り、川へ落ちないよう工夫しました。
この状態で、来年春先まで乾燥させ、3月上旬、1m程度に切り分け、シイタケの菌を打つことになります。
2015年11月06日
野菜の植付け
11月6日
暑いですね・・・・。我が家の室温は、夜8時なのに、まだ25℃を指しています。
この暖かさで、作物がぐんぐん成長してくれるといいのですが・・・。


先日に引き続いて、田んぼに野菜の種を撒きました。
今回は、山東菜とサニーレタスの種です。収穫までの期間の短い品種を選択しています。
ともに筋蒔きし、薄く土を掛けていきました。
しっかりジョロで水かけし、土壌の水分を潤してあげました。
ここは田んぼですので、用水路があり、常に水が流れていますので、水は心配要りません。
田んぼの近くの老農夫が、我が輩の作業をみて、また何かやり始めたなあ~~と、声を掛けてきました。
”田んぼの土壌改良を期待して野菜作っていま~~す。”と、期待せずに見守ってくださいと返事しておきました。


こちらは玉ねぎの苗です。極早生と早生の2種類を各100株準備しました。
極早生は4月上旬から中旬の収穫、早生は4月中旬から下旬の収穫を見込んでいます。
玉ねぎの植え方は前回同様、長い根を地中深く植えていきました。
これで玉ねぎは、前回の赤玉ねぎの150株と併せて、350株植えつけました。あと、250株分黒マルチの穴が残っています。
ここには、普通作の玉ねぎを1週間後に植えようかなと考えているところです。
畑も田んぼも、だんだん野菜の作付けが進んで行きます。
天候にも恵まれ、成長が楽しみで~~す。
暑いですね・・・・。我が家の室温は、夜8時なのに、まだ25℃を指しています。
この暖かさで、作物がぐんぐん成長してくれるといいのですが・・・。


先日に引き続いて、田んぼに野菜の種を撒きました。
今回は、山東菜とサニーレタスの種です。収穫までの期間の短い品種を選択しています。
ともに筋蒔きし、薄く土を掛けていきました。
しっかりジョロで水かけし、土壌の水分を潤してあげました。
ここは田んぼですので、用水路があり、常に水が流れていますので、水は心配要りません。
田んぼの近くの老農夫が、我が輩の作業をみて、また何かやり始めたなあ~~と、声を掛けてきました。
”田んぼの土壌改良を期待して野菜作っていま~~す。”と、期待せずに見守ってくださいと返事しておきました。


こちらは玉ねぎの苗です。極早生と早生の2種類を各100株準備しました。
極早生は4月上旬から中旬の収穫、早生は4月中旬から下旬の収穫を見込んでいます。
玉ねぎの植え方は前回同様、長い根を地中深く植えていきました。
これで玉ねぎは、前回の赤玉ねぎの150株と併せて、350株植えつけました。あと、250株分黒マルチの穴が残っています。
ここには、普通作の玉ねぎを1週間後に植えようかなと考えているところです。
畑も田んぼも、だんだん野菜の作付けが進んで行きます。
天候にも恵まれ、成長が楽しみで~~す。
2015年11月04日
田んぼの裏作挑戦
11月4日
本日は快晴で~~す。
また、しばらく雨が降りそうにありません。田畑の作物が水分を欲しがっているように見えます。
ところで、ブログ来訪者のN氏から、久し振りにコメントがありました。
N氏は、自称新米の稲作農家とおっしゃっています。今年の作柄の報告があり、10アール当り595kgの収量があったそうです。
因みに、鹿児島県の今年度の作柄は、普通作は10アール当り475kgと平年に比べ、やや不良と新聞に載っていました。
N氏の成績は優秀ですね~~。
我が輩はというと、恥ずかしながら、昨年よりは収量が上がったものの10アール当り500kg弱でした。とほほ・・・・。
ということで、今年、田んぼの収量を上げようと、冬場に野菜を作り、土壌を少しでも改良してみることにしました。

先日、アスパラ菜を定植した田んぼです。
この田んぼは、毎年、圃場の中央部周辺の稲の育ちがよくありません。今年も、穂丈が低く、稲の分けつも20本弱でした。
そこで、土壌改良策として、冬野菜作りに挑戦してみることにしました。
本日、アスパラ菜をさらに100株定植しました。
でも、まだトラクターで耕運したところが残っていますので、短期間で収穫出来る葉野菜を植えることにしました。

この時期種まき出来る野菜ということで、サラダほうれん草の種を見つけてきました。
ほうれん草は冬野菜の代表作ですし、栽培はそんなに難しくありませんと、自己判断し、挑戦することにしました。
元肥は、醗酵鶏糞を使っています。当然、稲を収穫したときに発生する稲わらも鋤きこんであります。
あとは、地力に頼ることにしました。


種まきは筋蒔きにしました。
手作業ですので、筋蒔きもばらついています。
でも、野菜作りがメインでありませんので、・・・と、自分を納得させています。
本日は、20mの畝に1列筋蒔きしました。タネはまだ残っていますので、10日後、さらに1列種まきしようかと思っているところです。
種まき後、ジョロで十分な水を掛けてあげ、発芽率が高まることを祈りました。
さてさて、本当に土壌改良になるのやら・・・・。
などど、農業を楽しみながら、何でも取組んでいるところです。
本日は快晴で~~す。
また、しばらく雨が降りそうにありません。田畑の作物が水分を欲しがっているように見えます。
ところで、ブログ来訪者のN氏から、久し振りにコメントがありました。
N氏は、自称新米の稲作農家とおっしゃっています。今年の作柄の報告があり、10アール当り595kgの収量があったそうです。
因みに、鹿児島県の今年度の作柄は、普通作は10アール当り475kgと平年に比べ、やや不良と新聞に載っていました。
N氏の成績は優秀ですね~~。
我が輩はというと、恥ずかしながら、昨年よりは収量が上がったものの10アール当り500kg弱でした。とほほ・・・・。
ということで、今年、田んぼの収量を上げようと、冬場に野菜を作り、土壌を少しでも改良してみることにしました。

先日、アスパラ菜を定植した田んぼです。
この田んぼは、毎年、圃場の中央部周辺の稲の育ちがよくありません。今年も、穂丈が低く、稲の分けつも20本弱でした。
そこで、土壌改良策として、冬野菜作りに挑戦してみることにしました。
本日、アスパラ菜をさらに100株定植しました。
でも、まだトラクターで耕運したところが残っていますので、短期間で収穫出来る葉野菜を植えることにしました。

この時期種まき出来る野菜ということで、サラダほうれん草の種を見つけてきました。
ほうれん草は冬野菜の代表作ですし、栽培はそんなに難しくありませんと、自己判断し、挑戦することにしました。
元肥は、醗酵鶏糞を使っています。当然、稲を収穫したときに発生する稲わらも鋤きこんであります。
あとは、地力に頼ることにしました。


種まきは筋蒔きにしました。
手作業ですので、筋蒔きもばらついています。
でも、野菜作りがメインでありませんので、・・・と、自分を納得させています。
本日は、20mの畝に1列筋蒔きしました。タネはまだ残っていますので、10日後、さらに1列種まきしようかと思っているところです。
種まき後、ジョロで十分な水を掛けてあげ、発芽率が高まることを祈りました。
さてさて、本当に土壌改良になるのやら・・・・。
などど、農業を楽しみながら、何でも取組んでいるところです。
2015年11月03日
玉ねぎの定植
11月3日
本日は、文化の日、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」として定められたそうです。
今、鹿児島では、国民文化祭が開催されており、地元・県外から多くの方が、それぞれの文化を披露あるいは見学され、楽しまれています。
また、昨日今日は、鹿児島市の「おはら祭り」も開催されており、まさに文化一色になっています。
でも、農家人にとっては、春野菜の植え付けに追われており、ゆっくり文化に触れる時間がありません。とほほ・・・・・・。

玉ねぎの苗です。早稲の赤玉ねぎです。
我が家の畑の第3区に植える野菜です。
近くの園芸店で手に入れました。今、玉ねぎの苗は、入荷し次第すぐなくなります。今回も、白玉ねぎは売り切れていました。
やっと、手に入れましたので、大事に育てないといけませんね・・・。


先日、テレビの報道番組で、「玉ねぎの育て方」を詳しく流していました。
なるほど・・、と思われる内容でしたので、今回、実践してみることにしました。
ポイントは二つ。
一つは、長い根を深く植え込むこと。土壌の栄養分、水分をしっかり吸収させることが、出来るからかな・・・・。
二つ目は、白い茎(実際は葉)の部分の二分の一を埋めること。葉が分かれているところまで埋めると、新芽が出にくくなるらしいです。
と言うような内容でした。今回、この方法で玉ねぎを植えてみます。
果たして上手く行くかどうか・・・?

本日の玉ねぎの定植数量は、160株でした。
今回の作業区は、玉ねぎ600本を植える予定ですので、まだまだ植えないといけませんね・・・。
次は、白玉ねぎの早稲と普通作の苗を見つけてみましょう。
ところで、玉ねぎの茎はどこでしょうか・・・・・?
実は、生物学的にも、はっきりと分かっていないのだそうです。
学問が進んでいる現在でも、いまだ分からないところがあるんですね。
玉ねぎって不思議な野菜なんですね。
本日は、文化の日、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」として定められたそうです。
今、鹿児島では、国民文化祭が開催されており、地元・県外から多くの方が、それぞれの文化を披露あるいは見学され、楽しまれています。
また、昨日今日は、鹿児島市の「おはら祭り」も開催されており、まさに文化一色になっています。
でも、農家人にとっては、春野菜の植え付けに追われており、ゆっくり文化に触れる時間がありません。とほほ・・・・・・。

玉ねぎの苗です。早稲の赤玉ねぎです。
我が家の畑の第3区に植える野菜です。
近くの園芸店で手に入れました。今、玉ねぎの苗は、入荷し次第すぐなくなります。今回も、白玉ねぎは売り切れていました。
やっと、手に入れましたので、大事に育てないといけませんね・・・。


先日、テレビの報道番組で、「玉ねぎの育て方」を詳しく流していました。
なるほど・・、と思われる内容でしたので、今回、実践してみることにしました。
ポイントは二つ。
一つは、長い根を深く植え込むこと。土壌の栄養分、水分をしっかり吸収させることが、出来るからかな・・・・。
二つ目は、白い茎(実際は葉)の部分の二分の一を埋めること。葉が分かれているところまで埋めると、新芽が出にくくなるらしいです。
と言うような内容でした。今回、この方法で玉ねぎを植えてみます。
果たして上手く行くかどうか・・・?

本日の玉ねぎの定植数量は、160株でした。
今回の作業区は、玉ねぎ600本を植える予定ですので、まだまだ植えないといけませんね・・・。
次は、白玉ねぎの早稲と普通作の苗を見つけてみましょう。
ところで、玉ねぎの茎はどこでしょうか・・・・・?
実は、生物学的にも、はっきりと分かっていないのだそうです。
学問が進んでいる現在でも、いまだ分からないところがあるんですね。
玉ねぎって不思議な野菜なんですね。
2015年11月01日
大根の成育状況
11月1日
とうとう11月に入りました。
あと2ヶ月で、また一つ年をとります。我が身も、いつの間にか高齢者の域に近づいて来ました。
本日は計量記念日、計量制度の普及や計量意識の向上を計るためらしいです。
経済活動における取引きの基本は、まずは計量ですよね。
昨今、いろいろなデータの改ざんが報道されていますが、信用が一気に失墜しましたね。

我が家の畑の第一区の様子を報告しま~~す。
9月下旬にタネを播いた大根です。5週間を経過していますが、大きくなってくれました。
まだ、みずみずしい白い肌は見えませんが、元気に成長してくれています。
そろそろ間引きしなければなりませんね・・・。

こちらは10月10日にタネ播きした大根の苗です。
まだ苗が小さいですね~~。
10月は、まったくと言うほど雨が降りませんでした。2,3日おきに水撒きしたのですが、発芽も遅く、成長が遅れているようです。
やはり、野菜の生長には、土壌、水、温度が必要なんですね。

この畝は、10月20日に大根のタネ播きをしたところです。
ここも水不足で、発芽が遅く、我が輩は、諦めかけていたところでした。
一昨日の雨で十分な水が補給されて、ようやく大根のタネの芽が顔を出してくれました。
ここのタネ播きは、久し振りに帰省した弟夫婦が手伝ってくれたものです。
無事発芽してくれて、ほっと しているところで~~す。
とうとう11月に入りました。
あと2ヶ月で、また一つ年をとります。我が身も、いつの間にか高齢者の域に近づいて来ました。
本日は計量記念日、計量制度の普及や計量意識の向上を計るためらしいです。
経済活動における取引きの基本は、まずは計量ですよね。
昨今、いろいろなデータの改ざんが報道されていますが、信用が一気に失墜しましたね。

我が家の畑の第一区の様子を報告しま~~す。
9月下旬にタネを播いた大根です。5週間を経過していますが、大きくなってくれました。
まだ、みずみずしい白い肌は見えませんが、元気に成長してくれています。
そろそろ間引きしなければなりませんね・・・。

こちらは10月10日にタネ播きした大根の苗です。
まだ苗が小さいですね~~。
10月は、まったくと言うほど雨が降りませんでした。2,3日おきに水撒きしたのですが、発芽も遅く、成長が遅れているようです。
やはり、野菜の生長には、土壌、水、温度が必要なんですね。

この畝は、10月20日に大根のタネ播きをしたところです。
ここも水不足で、発芽が遅く、我が輩は、諦めかけていたところでした。
一昨日の雨で十分な水が補給されて、ようやく大根のタネの芽が顔を出してくれました。
ここのタネ播きは、久し振りに帰省した弟夫婦が手伝ってくれたものです。
無事発芽してくれて、ほっと しているところで~~す。